人間は変われない。でも、人間は変われる。
こんばんは。サワヒロです。
今日のテーマは「人は変われるのか」というお話。
「性格を変えたい」「自分を変えたい」そういう話、よく耳にしますよね。実際のトコロはどうなんでしょ?
■人間は変われない。でも、人間は変われる。
思わず「どっちなんじゃい!」と突っ込みたくなるタイトルですね。我ながら。あなたはどっちだと思いますか?
実は最近、この自分の中の「変わりたい」「変われない」「変われるのか」「変われないのか」とモロに感じた出来事がありました。
■うつ状態。
4月に入って数日経ったころ、ついほんの数日前のことなのですが、ワタクシ、かーなーり、うつ状態になってました。そりゃもう、職場の同僚たちからも心配されるくらい。
だってまったく人と話したくないし、表情を作るのさえ面倒になるし。隣の席のやつにも主任にも、ご迷惑をおかけしました。
季節の変わり目になると、気持ちが不安定になりがちなんですよね。実は。
何日か、ちょっと気分が高めの日があったかと思うと、ズドドンと落ちてしまうというこのパターン。
わたし自身、こういう傾向があることに気づいたのは大学院生あたりからなので、かれこれ10年以上のおつきあいになります。
10年か~、修論のときもうつっぽくなったなぁ…。
さてさて、こうして改めて自分の中の『変わらない部分』を再確認しました。
でも同時に、変わった部分だっていっぱいあります。あるはずです。あるといいなぁ・・。
■変わりたいけど変われない。その「もがき」が成長カナ?
ここでちょっと話はそれますが、わたしがさいきん興味のある概念として「ポスト・トラウマティック・グロース(PTG:心的外傷後成長)」ってものがあります。この「ポスト・トラウマティック・グロース」でいう「トラウマ」は、いまではすっかり有名になったPTSDでいわれる「トラウマ」よりも幅広い出来事を指します。
厳密にいうとPTSDでいうトラウマは事故や犯罪被害、自然災害などのように自分の身に危険が生じる、それくらい強い経験のときに使います。
でもPTGでいうトラウマはもう少し日常的に起こりうる、強い出来事のときにも使います。
いっそここでは拡大解釈して、日常生活で「上司に叱られたのがトラウマだー」なんてのも含めちゃいましょう。いいですよね?答えは聞いてないけど(by リュウタロス)
そういった日常生活の中でのしんどい出来事、あるいはトラウマティックな出来事を通して、そこで葛藤しもがいて何とかしようとする、そのプロセスが成長につながるのです。
それがPTG。ポスト・トラウマティック・グロース(心的外傷後成長)です。
そしてTKGは卵かけごはん、TGCは東京ガールズコレクションです。関係ないけど。
■苦しんでもがいてもいいじゃないか。にんげんだもの。
さて、前フリが長くなっちゃいましたが、今日のテーマに戻ります。人間は変われるのか、変われないのか。
実体験からぶっちゃけていえば、どうしても変わらない部分はあります。これはもう、どうしても変えられない。
でも苦しんで葛藤してもがくなかで、変化・成長していく、つまりは変えていける部分も確実にあります。
例えていうならば、ハマチは頑張ってもマグロにはなれません。
でも成長すればブリにはなれます。ハマチが葛藤してるかはわかりませんが。
変われない部分があるからといって、そこであきらめてはイカンわけです。変わろうとする努力をし続けていったほうがいいわけです。
つまり、「『こういう性格だからしかたない』と言わず、少しでも実現できるように努めていくことが大切なんだ。」とおもいます。
…すいません。松下幸之助の名言をパクりました。良心の呵責。
ちなみに元の名言は「人間だからしかたない」と言わず、少しでも実現できるように努めていくことが大切なんだ。」です。
■まとめ
結局のところ、「人は変われるのか」という問いに対しては、次のような答えになります。変わらない部分も確かにあるが、「変わりたい!」ともがき苦しむことで、人は変わっていける。
「人間は変われない。でも、人間は変われる。」ということですね。
おぉ、記事のタイトルがここで再び。
タグ:ポスト・トラウマティック・グロース, 成長
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